ブルームーン③トニーとの出会い~消えるユタカ
謎の男性は「ローハー」という謎の挨拶とともに、急に2階の窓から現れた。
謎の男性:ああ、ご存知じゃないか。ハローの逆。今流行ってんの。いくよ?ローハー♪
ルミに返事を求める。
ルミ:どど、どうも~
謎の男性:・・・頑なだねえ。それよりケイト知らない?
ルミ:ケイト…さん?
謎の男性:そう、ケイト。僕の共演者。…そもそも、どちらさま?
ルミ:ああ 蒲谷ルミと申します。こちらの、住職の、息子さんの友達で!
謎の男性:あの本山で修業中だっていう?
ユタカは本山ではなく、この寺に居る。この男性が何を言っているかはよく分からないが、何だか顔に見覚えがある気がする。しかもついさっき…
男性が部屋から出てきた。燕尾姿、整えられた髪、スラリとした体形。
ルミ:あああ!!!!
謎の男性:見たい?
そう言って男性はポーズをとる。それはまさしくさっき見た写真のまま。この男性ははま子の父、トニー河村だった。
トニー:高いところから話しているのが申し訳ないので、タッタカ降ります。
トニーは言葉通り、タッタカとリズミカルに階段を降りてきた。近くで見れば見るほど、今起きている状況が分からずにただ悲鳴をあげるルミ。それもそうだ。死んだと聞かされて、さっきまで携帯で写真を見ていた男がここに現れ、タッタカと階段を降りてきたのだから。
ルミ:やばいやばいいい!!
トニー:はい、サービス!
と言ってお決まりのポーズを見せてくる。その迫力は想像以上。
ルミ:多分、そのケイトさんって方はここにはいらっしゃらないかと…
トニー:どこに行ったの?
ルミ:うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん
トニー:うーーーーーーーーーーーんって、ケイトはどこに行ったか聞いてるだけだよ?
ルミ:最後にケイトさんに会ったのはいつですか?
トニー:じゅっ…うーん20分くらい前かな
ルミ:どこで?
トニー:ここで
トニーは今いる場所、寺の待合室を指さした。
どうやら、トニーは映画の中で踊るダンスの振り付けを考えていたらしい。監督がテキトーなため、今日の振り付けは、主演のトニーが今日考えなければならないようだ。ケイトとはご飯を食べる食べないの件で、喧嘩したらしい。
今回の振り付けにはタップを取り入れたいと考えたトニー、しかし靴が片方無かったとのこと。靴を探していたら、どこからか時計の音が聞こえて、そして目の前が真っ暗になり、今に至るらしい。
今起きている状況に何も気が付いていないトニーはとても陽気で、マイペースな男だった。
トニー:あははは、ぼくいきなり喋りすぎだよね。…うん?この時計どうしたの?
ルミ:ああ・・・(どう説明しよう)
トニーはテーブルの上に置いていた例の古時計を見つけた。どうやらこの時計を見たことがあるらしい。それもそうだ、この時計の裏にはトニー河村が寄贈したと刻んであるのだから。
トニー:小学校の近くの時計屋さんで買ったんでしょ?デザインがいいよねえ。いつ買ったの?あ!でも少し疑問。やけに古くなっている。
寄贈したのが戦争時期なら、トニーが古くなっていると感じるのも無理はない。説明のしようがないルミは壊れているのを理由に部屋の隅っこへと時計を運んだ。
ルミはトニーにテーブルの上のお煎餅を勧める。
トニー:ぼく煎餅はあまり好きじゃないんだ
ルミ:じゃあチョコレートのクッキーとか
そう言ってお菓子の袋を差し出す。
トニー:えっ、何これ。
ルミ:クッキーです…
トニー:えっ何これ!ひとつひとつ袋に入ってんの?もったいない!!
…これ、どうやってん開けんの?…開けてよ!
クッキーの袋に興味津々のトニー。開け方の分からないトニーに、ルミが袋の開け方を教えてあげる。
トニー:はっはー!横浜も近いしね!ハイカラなものだね!テンキュソマッチ!
開けてもらったクッキーを両手に持ち、おそるおそる口にする…
トニー:……おいし。ん!ん!んー!!んー!!
あまりの美味しさに、一気に食べようとしてのどにつまさせるトニー。膝と胸を交互に、リズミカルにたたく姿がなんだか面白い。ルミが急いで水をついで持ってくる。
トニー:テンキュ!
一つ食べ終えたあと、「んっんっー…もー うひとつ…」とおねだりするトニー。どうやら気に入った様子。もうひとつは大事に内ポケットにしまった。
トニー:撮影、2時からで変更はない?
ルミ:すいません、それは…
トニー:そうだよね、きみ寺関係だもんね。じゃあこの靴知らない?
ルミ:それなら!!
トニーの足元を見ると、片方だけタップシューズを履いていた。さっき寺に落ちてきたというタップシューズ、ユタカともめた原因の一つでもあるこのタップシューズは、どうやらトニーの物のようだ。
トニー:テンキュ!…まさかきみ、踊れたりしないよね?今日は「ブルームーン」で踊るんだ。
新しいステップを試したいというトニー。
ルミ:じゃあ、曲流してみましょ!確か、ジャズ名曲集のCDが。
トニ:ししし、シー
ルミ:ああ、レコードみたいなものです~ あっ!あった!
~♪
トニー:うん、同じだ。ちょっとおさらい…
ブルームーンに合わせてタップを踏むトニー。
ルミ:すごい!!やっぱり、本物のトニー河村!
トニー:ぼくに偽物、いないよ!
ルミも気分が上がってきたのか、一緒に踊ることに。トニーがリードして、ルミがそれに合わせる。
トニー:トラストミー!
ルミ:??
トニー:ぼくを信じて
ルミ:アイビリーブィンユウ!
ブルームーンの優しい音に合わせ、なんだか良い雰囲気の二人。そこに扉が開く。ユタカだ。あまりの驚きの光景に、開いた口が塞がらない。
ユタカ:何やってんだよーーー!!!!
ルミは慌ててラジカセをとめる。
ユタカ:その靴・・・あなたのだったんですね!あなた誰ですかああああ!!
トニー:あなたこそ誰ですかああ
怒るユタカと何故か急に怒られて戸惑っているトニー。
ルミ:この人は2階から
ユタカ:なんだよ2階って…なんだよ2階ってえ!
トニー:そこの部屋に1週間前からお世話に
ユタカの頭の中では完全に目の前の男=中華街の男だった。それも仕様がない、ユタカが例の中華街の男と勘違いするには十分すぎるほどの材料がそこにはあった。
しかし目の前の男はトニー河村。ルミもこれ以上ユタカを怒らせない為に、トニーにアイコンタクトを送る。しかしこれが逆効果。2人のアイコンタクトに気が付いたユタカは
ユタカ:そういうことだろ?もう!!
ルミ:ちょっと!聞いてよ!!!!
ユタカは階段を上がり、2階の部屋へと閉じこもる。そこにあの時計の音が聞こえ始めた。
トニー:あっこの旋律。この音がさっきも流れたんです。
時計の音が止む。ルミはトニーの一言に嫌な予感がした。時計の音とともにこの部屋にやってきたトニー。そして今再び流れた時計の音。
おそるおそる扉を開く。
しかしそこにユタカの姿はなかった。
ブルームーン②ルミとの会話~ローハー
ユタカ:浮かれてんな。
オサムとはま子の前では明るく振舞っていたルミだったが、ユタカと2人きりになると気まずい雰囲気が流れた。
ルミ:…ごめんね。急に、来ちゃって。電話もごめん、なかなかできなくて…
ユタカ:留守電聞いた?
ルミ:うん、会ってちゃんと話せる時にって思って
ユタカ:会って何を話すつもりだったの?
ルミ:この間の中華街のこととか…
ユタカ:うん…
ルミ:なんか誘われて、断れなくって
ユタカ:何回か誘われてるって言ってた人だよね?
ルミ:でも、あの人とは何もないから!
ルミが他の男性と中華街を歩いているところを目撃してしまったユタカ。ルミは何もなかったと否定するが、ユタカはおもむろにさっきどこからか降ってきたタップシューズを手に取った。
ユタカ:これ、知ってる?
ルミ:何?
ユタカ:誰かのタップシューズ。ここに落ちてた。
ルミ:何で?
ユタカ:知らない
ルミ:いやいや、何で私に聞くの?
ユタカ:あの人、ミュージカルの俳優さんって言ってたっけ。
ルミ:ダンサー
ユタカ:顔、見損なっちゃった。売れてる人なの?
ルミ:うえっ!!あの人のって言うの!?
ユタカ:ありえないでしょ!ここに連れてきたとか。
ルミ:じゃあなんで
ユタカ:中華街で手をつないでるのも、ありえないと思うからさあ!
さっきオサムにはルミの仕事仲間のタップシューズなわけがないって自分で言っていたのに、あまりの困惑にかルミを疑ってしまうユタカ。ルミもまさかよく分からない靴まで疑われるとは思っていなかっただろう。
ルミ:あれは、断れなくって…
ユタカ:じゃあ、何だったら断れるんだよ!食事と手をつなぐのはOKなんだよね!?
ルミ:なんかぁ!あの人アメリカに行くらしくって。ダンスの勉強で3か月。一緒に行かない?って言われて、でもそれはわたしきっぱり断ったんだ!
ルミはどうだ!という顔でユタカを見る。
ユタカ:いや、当たり前だよね?きっぱり断ったんだ!って声高に言うことじゃないよね?
ルミ:うん、まあ…
ユタカ:てか、アメリカって仕事やめて俺と結婚しない?ってくらいの話だよねえ
ルミ:どこかで遊びに来ないか?って
ユタカ:わかりづら…
ルミ:ごめん
ユタカ:てか、何もなくってアメリカ誘う?
ルミ:なんかぁ!ひとりで舞い上がる人なんだよね~ 俺を完全にサポートできるのはルミちゃんだけ~☆って
ユタカ:お前が誤解されるような態度とったんだろ?
そのあとも、2人の言い争いは終わらない。ユタカはきっぱり断らないルミが悪いと責める。
ルミ:わたしが悪かったよっ
いつまでもしつこいユタカにルミが悪かったと伝えるが、気持ちはこもっていない。
ユタカ:(いーーーーっ!ふうう。きーーーーーーっ!!)お、おーちゃ入れよっか
歯をむき出しにして、子供のように怒りを露わにするユタカ。でも何とか怒りを抑えて水を取りに行く。
ルミ:わたし入れるよ
ユタカ:いいよ!入れるからあ!!!ああぁ、腹減ったな~
ユタカはそう言いながらルミの顔色をうかがう。
ルミ:(…ぷいっ)
そっぽを向いて反応を返さないルミ。
ユタカ:(いーーーーーーーーっ)
歯をかたく食いしばり怒りをおさえるユタカ。ふと目をむけた先にはあの古時計があった。
ユタカ:きっも…
どうやらまた時間が戻ってしまっているようだ。ルミに時間を確認して時計の針を直す。ルミも不思議そうだ。
ユタカ:…なあ、今もそいつが出るミュージカルの製作やってんの?
ルミ:今は次の稽古。本番だったら土曜、休みにならないし。
ユタカ:それ、いつ終わるの。
ルミ:7月
ユタカ:それ終わったら、ひま…?
ルミ:え!…なんで?
椅子に座っていたルミが、ようやくユタカの方を向いた。ユタカは階段に腰かけていた。
ユタカ:たまには、どっか遊びに行きたいなって…
ルミ:お盆は忙しいんでしょ
ユタカ:どっか行こうよ!
ルミ:どっかて?
ユタカ:いや、アメリカには行けないけどさ。近くで温泉とか。
「アメリカ」という単語は、今のルミにはNGワードだ。
ルミ:アメリカには行かない!って言ってるでしょ!!なんなの!?
ユタカ:人が気分変えようと思って誘ってんのにのらないからだろ!
ルミ:ちょっと、しつこいよ!
まさかここまで怒られると思っていなかったユタカ。ルミに言い返そうとするも…
オサム:おいユタカー!あったぞ!
ユタカ:くっ(きーーーーーっ!!!!)
空気が読めるのか読めないのか、オサムとはま子が戻ってきた。何やら、さっき話していたはま子の父、トニー河村の記事を見つけたらしい。にぎやかで楽しそうな2人とは対照的に、ユタカは怒りをぶつけるところがなく階段でジタバタしている。
オサム:はま子さんのスマフォにあった!
はま子:ふふ、わたしのスマフォじゃありませんよ。どっかのホームページに。
オサムは画面を見つめ、映画の説明を読もうとするが見えない。
オサム:あー、老眼きっつ。…あ!もーう、タッチパネルが大嫌い。
指があたって画面も変えてしまったらしい。
ユタカ:もういいよ!俺がやるから!
オサムからスマフォを奪い、ユタカが代わりに見ることに。しかしスマフォを渡した後も、画面が気になるのかユタカにぴったりなオサム。
ユタカ:離れてよ、うっざいなあ!
オサム:だって見えないからぁ
ユタカが移動しても金魚の糞のようにくっついてくるオサム。後ろから画面をのぞきこむようにして、ユタカの肩にあごをのせる。
ユタカ:うあーーーーーー!読み上げるからああ!はなれてええええ!!!
ユタカの怒りっぷりがおもしろかったのだろう。それを真似するオサムと、それを見て笑うルミとはま子。プンプンなユタカをこれ異常刺激しない方が良さそうだ。
オサム:どうぞ!読み上げちゃってくださ~い!
はま子の父が主演をつとめた映画の名前は、「時をかける靴」。戦争のはじまる直前、昭和12年に作られたもので公開はされていない。ストーリーは魔法の靴で時空を旅するというもの。未公開ではあったが、カリフォルニアで古いフィルムが発見され、マニアの間で上映会も行われたそうな。
ユタカ:ひょんなことから魔法の靴を…って、どんなひょんだよ
はま子:自由な映画ですねえ
ユタカはあまり興味がなさそうだ。一方、ルミはトニー河村の顔こそ見たことはなかったが名前は知っていた。仕事の資料集めの時に見たらしい。トニー河村の話題で盛り上がる3人と、ユタカの姿がそこにはあった。
ユタカ:ねえ!これいつまで続くの!!
はま子:すいません…
ユタカ:いや、あの。おなかすいたなあって…
オサム:待てよ、ちょっとくらい
ルミ:着替えれば?
オサム:そうだよ、そんな恰好で
いつまでも汗をかいたTシャツのままでいるユタカを、みんなが着替えるように攻めたてる。
ユタカ:(きーーーーーっ!!)なんだよみんなしてぇ!…あっ、また。
例の古時計を見ると、また時間がおかしくなっていた。完全に壊れてしまったようだ。
オサム:いいから、もう。早く着替えてこいよ~!
みんなからのけ者にされたユタカ、何だか少しさみしそうに、そして不安そうに着替えに行く。…が、すぐ戻ってくる。
ユタカ:あのさぁ、父さん!ぜっっったいに余計なこと言わないでよねえ!!
オサム:わかってるよ!
ユタカ:うあーー
さっきまで結婚について話していた為、釘をさしに来たユタカ。オサムに念を押したあと今度こそ着替えに奥の部屋へと行った。
ユタカ:あいつはさ、ああいうとこが馬鹿だよね。黙ってりゃいいのにさ。ああ言えば、ルミちゃんも聞きたくなるし俺だって喋りたくなるよねえ。
はま子:あ、ありました!これね、母と結婚したときの写真。
ルミとオサムは、はま子のスマフォをのぞきこむ。
ルミ:あんまり昔の人の顔っぽくない!
はま子:わたし、似てますかしら?
オサム:そうですね、お母様よりも!
はま子:そうかしら~♪うふふ
父に似ていると言われて嬉しそうなはま子はご機嫌な様子で、台所へと戻って行った。
オサム:はま子さんファザコンだな。
ルミ:わたし無いな~
オサム:えっ お父さん苦手?
ルミ:結構、厳しいから。
オサム:でもファザコンじゃない方が、旦那になる人は…(もごもご)
ルミ:えっ?
これがユタカの言っていた「余計なこと」なのだろう。いきなり約束を破りかけたオサム。そんなことを知りもしないルミは、もう故障して使えない古時計を壁から外そうとしていた。
オサム:いや何でもない!仕事はどう?
ルミ:きっと…辞めます。
どうやら大人の事情があるらしい。
~♪
時計を机に立てかけて雑巾でホコリをふいていると、また音が流れ始めた。
ルミ:すごい!本当に逆回り!あっ、もう1回やってもいいですか?
なんだか面白くなってきたのか、ルミはそう言って針を戻し、数分後にまた時計が鳴るように時間を戻した。
オサム:ルミちゃんはさ、本当はどんな仕事がしたいの?
ルミ:誰かのサポートがしたいっていうか…正直、私の全生涯をかけてサポートしたくなるようなタレントに会ってないっていうのもあるんですけどね
オサム:そそそそ、それ、それはさぁ。タ、タレントじゃないとダメ…ダメかなぁ
ルミ:えっ?
オサム:なんでもない!
また「余計なこと」を言うオサム。
ルミ:もーう(笑)…あ!これトニー河村の寄贈になってる!
さっきまでホコリに隠れていたが、時計の裏には文字があった。この年に何があったのだろうか。「道を見せてくれた方々へ」の文字も刻まれていた。
オサム:え~ その頃の住職は、確か亀吉…亀五郎・・・亀…亀十一 ちょっと待って!調べてくるから!かめ、かめ…
名前に亀の文字がつくのだろうか。オサムは先代の名前を確認しに奥の部屋へと去って行った。相変わらずのオサムの明るさ・陽気さに思わず顔をほころばせながら、不思議な古時計を眺めていた。すると…
ガタッ
謎の男性:あれ?
ルミ:えっ!!!!!!!
謎の男性:ローハー♪
…変な男が、2階から急に現れた。
ブルームーン①はじまり~ルミ登場
「ブルームーン」2015.5.23~6.28
大切な人に想いを上手く伝えられない青年の ちょっと不思議でロマンティックな物語。
お寺の待合室でパジャマ姿のオサム(父)がお茶を入れているところからはじまる。戸の外からユタカ(横山裕)の声が聞こえて、あわててお茶を片付けようとするオサム。そこに勢いよく戸が開く。
ユタカ:何してんの!
オサム:誰か入ってくんのかなーと思って
ユタカ:みんな帰ったよ。あー疲れた・・・
そう言いながら袈裟を脱ぎ始めるユタカ。椅子に脱いだ袈裟をかけて、タオルでおなかやひざの裏の汗をふく。
ユタカ:あーあ、汗だく。耐えらんねえ。
オサム:おいここで脱ぐなよ!
赤いTシャツに白い半ズボン、白いタオルを首にかけて足袋も椅子の上に脱ぎ捨てた。
ユタカ:それより熱はどうなんだよ。
オサム:5度4分
ユタカ:は?なんだよそれ低すぎるだろ。
オサム:おれの平熱だよ。
ユタカ:いったい何度だったんだよ。
オサム:7度2分
ユタカ:お子様か!
オサム:バカ、大変なんだぞ?普段平熱5度4分が7度2分出てみろ?平熱6度4分は8度2分だよ。インフルエンザクラスだよ。
ユタカ:インフルエンザクラスなだけでインフルエンザじゃないだろ
オサム:疲れかな。通夜葬式通夜葬式で大変だったろ?
今日の法事は風邪で休んだオサム。
ユタカ:勘弁してくれよ!檀家の名前は間違えるわ!
オサム:えっ!?
ユタカ:やってくれたねえ、おやじさん。はい、ここで問題です。本日の法事3件中、最後のひと家族はだれでしょーか?
オサム:キタオさん
ユタカ:ぶーーーーーーーっ!!!!!アカイさんでございます。
オサム:どうやってアカイがキタオになるんだよ
ユタカ:こっちの質問だよ。少しも似てねえじゃないかよ!えーただいまからキタオカズエさんの一周忌法要をはじめますって言ったら、7名様皆様大きな声で「はあ!!!」って!はあ!!の大合唱だよ。「何か?」って聞いたら「うちはアカイです」だ。
オサム:ははははは あっ
ユタカ:何だよ分かったのかよ
オサム:アカって言ったら共産圏。共産圏って言ったらロシア。ロシアと言ったら北の方。北の方・・・キタノホウ・・キタオだよ。
ユタカ:なんだよそのスレスレの連想ゲーム。
オサム:で?どうしたんだよ法事。
ユタカ:どうしたもこうしたもねーよ!アカイ家の皆様、「ありがたみ無いなあ。本当はキタオさんにあげるお経だったんだもんなー」って顔してましたよ。
ユタカは終始怒りっぱなし。煎餅を食べているユタカにオサムがお茶をついであげようとする。
ユタカ:あああいいよもう!水飲むからあ
ユタカは水をつぎに席を立つ
オサム:何でだよお
オサムもその後ろをぴったりくっついて行く
ユタカ:暑いからに決まってんでしょー!
オサム:あっついときこそ、あっついお茶でしょー!
‟喧嘩するほど仲が良い”を絵にかいたような親子。ユタカは水をついで椅子にまた座る。待合室の奥には小さな台所があり、そこで水は使えるようになっている。
ユタカ:どうする、何か食いに行く?
オサム:そろそろどうにかならないかね。
ユタカ:何があ!
オサムは椅子を傾け、脱ぎ捨ててあったユタカの足袋を床に落とし椅子に座る。ここからユタカの幼馴染であり、長年付き合っているルミの話になる。
オサム:どうなんだよルミちゃんとは、最近ずいぶん来ないじゃないか
ユタカ:仕事が忙しいって
オサム:してないのか?結婚の話は
ユタカには早くルミちゃんと結婚してほしいと思っているオサム。前は2人でミュージカルを見に行ったり、ルミはお寺のコーラス部を手伝いに来てくれていたことを嬉しそうに語る。
ユタカ:やめろよもう、へこむからあ・・・
オサム:へこむ?別れそうなのか?きらきらしてないのか?
オサムは自分の椅子をユタカに近づける。
ユタカ:するかよ10年以上付き合って。会っても仕事の愚痴ばっか、キラキラする要素どこにもねえっつーの。
オサム:それを愚痴りたかったのか。ルミちゃんは何の仕事だっけ?
ユタカ:ミュージカルの製作会社。
オサム:何やってんの?
ユタカ:製作だよ!製作の会社なんだから
オサム:プロデューサーってこと?
ユタカ:もっと下っ端!中間管理職的なとこだって
オサム:ああ、板挟みか
あまりルミのことに触れてほしくないユタカと、それを全く気にせず質問攻めするオサム。ユタカ自身、会っても仕事の愚痴やミュージカル俳優さんの話ばかりのルミに少し不満がある様子。
オサムもルミちゃんが仕事柄、ダンサーに心を奪われるのではないかと心配する。
オサム:夜のダンスを求められたらどうすんだよ!断りきれねえぞ~?
ユタカ:ばばばば、ぶあっかじゃねえの?坊主が夜のダンスとか言うなよ!あー満たされない。どっか弁当でも買いに行こっかな~
食べかけの煎餅を机に置き、そこから立ち去ろうとするユタカ。しかしオサムが先回りする。
オサム:ルミちゃん誘って食いに行ってこいよ!
ユタカ:だから仕事だって!
オサム:土曜だろ?今日は
ユタカ:土日は舞台が忙しいの!
オサム:電話くらいしてみろよ
ユタカ:・・・今何時
2人とも壁にかかった大きな古時計を見上げる。
でもどうやら時間がおかしい。進んでいる?止まっている?そんな状態。
オサム:あー、もうダメだなこの時計。この前はま子さんが来た時に直したばっかだぞ?
本当の時間を知りたいが、自分の時計が無いことに気が付くユタカ。どこにやったか考える。
ユタカ:あ!外して本堂だ!
法事の際に本堂で外していた時計を取りに戻ろうと戸を開けようとしたところに、一人の女性が入ってくる。
ユタカ:すいません、こんな恰好で
女性:いいんですよ
やってきたのは、檀家のはま子。近くの写真屋で、よくお寺のことも手伝ってくれている。今日はオサムが熱を出したと聞いて、心配で来てくれたそう。
ユタカ:熱すっかり下がって、5度4分ですって
はま子:体温計で測れる限界に近いですねえ
ユタカは脱ぎ捨てていた袈裟を手に持ち、さっきオサムが床に落とした足袋を足でこっそり引き寄せて裏へ隠す。
はま子:ちょっと片づけましょうかね
さっきまで水や煎餅を食べていた机を見て、はま子が片づけを始める。
オサム:あ~ うちにはま子さん2人ほしいな!
ユタカ:さっきもほんと助かったよ。俺が汗だくになってるの見て、ささっと横に手ぬぐい置いてくれてさ。あっ
残ったお茶を片付けようとしてこぼしてしまったユタカ。そこでもさっと布巾を持ってきてくれるはま子。
はま子:いいのよ坊っちゃん
オサム:こいつに今一番必要なのは、手ぬぐいを置いてくれるような若い奥さんですよねえ。長すぎた春なんですってえ!誰かが・・・ケツをたたかないと!
自分のお尻をたたきながら、はま子にもユタカとルミの話を持ち掛けるオサム。
はま子:だったらわたし、お手柄かもしれませんよ?今日コンビニに寄ったの。そしたらね?うふふふ
ユタカ:ルミ?
はま子:そう!ルミさんがいらっしゃってね、住職の体調の伝えたら、あとで行きますって
ユタカ:あいつ来るって言ってました!?
あきらか慌て始めるユタカとは反対に、嬉しそうなオサムとはま子。
オサム:はま子さん、108人ほしいなあ!!
体調が悪かったはずなのに、寿司を取ろうと浮かれるオサム。
ユタカ:ルミに余計なことすんなよ!俺ら2人の話なんだから!
オサム:(・・・)
ユタカ:なんで無視?
オサム:話さないよ!でも俺は俺でルミちゃんと楽しくしゃべる!
ユタカ:なんだよ低体温!
オサム:だってなあ!俺はいやだよ!・・・はい。
ユタカ:何がだよ!そこで終わんなよ!何がいやなんだよ!
オサム:お前ひとりに看取られて死んでいくのがだよ。俺はなあ、お前と若い嫁とに看取られて死にたいんだ・・・いっそお前なしでもいい。嫁に看取られて死にたいんだ。
ユタカ:いっそはま子さんに看取ってもらえよ~
はま子:え?わたしの方が先じゃないかしら
ユタカの肩をたたくオサム。
ユタカ:また返しようのないことを~
はま子:考えちゃいますよ…そろそろお店も閉めようかと思って。
長年続けてきた写真館を閉めようかと考えているはま子。
ユタカ:やめないでくださいよ!
今まで七五三等の行事ごとは全てはま子さんに撮ってもらっていた向坂家。ユタカもオサムもやめてほしくないが、来週ははま子の母親の13回忌。あの世の母も許してくれると思う…はま子はそう語る。
~♪
すると何やら音が聞こえてくる。あの古びた掛け時計が12時を知らせているようだ。
ユタカ:戻ってる。これすごい勢いで戻ってる。
どうやらまた時計がおかしいらしい。
オサム:はま子さん、時間は?
はま子:12時8分
ドンッ…
今度は何かが落ちてきたような音が聞こえた。
はま子:何か壊れたんですかねえ
オサム:本気で修繕だな
ユタカ:ねえ、ここっていつ建ったの?
オサム:戦前かな
はま子:檀家のみなさん、お手洗いは洋式が良いって言ってますよ
オサム:あと、階段も床がきしむってね
さっき音がした方を探す。
はま子:あっ 何でしょうこれ
オサム:これが落ちてきたのか
ユタカ:ってどこからあ!
オサム:知らねえよ
不可思議なことが重なりやっぱり機嫌が悪いユタカとマイペースなオサム。
はま子:これ、ただの靴じゃありませんよ?タップシューズ。
ユタカが椅子に靴の底をたたきつけてみる。
ユタカ:ほんとだ、タップシューズだ
黒くてピカピカのタップシューズ。椅子にたたきつけると、靴の底からいい音がする。大きくて男物のようだ。
オサム:ルミちゃんの仕事仲間の?
ユタカ:何故にだよ。何故にルミの仕事仲間のタップシューズがここにあんだよ。ありえねーだろ。
オサム:そういえば、ここで昔映画の撮影したんだっけ。確か名前は
はま子:トニー河村!
どうやらトニー河村のポーズなのだろう。はま子が両手を広げて独特なポーズをとる。トニー河村ははま子の父親であり、ミュージカルスター。映画の主演にもなったことがあるが、その映画は公開されなかったという。その映画を撮影したのが、このお寺で、2階の部屋も控室に使用していた。近くの小学校なども撮影に使われたとはま子は語る。
オサム:でも映画スターと写真家の娘じゃ、まわりに結婚は反対されたんじゃないですか?
はま子:まわりというか、祖母がね。母の顔が地味だからって。星は星と結ばれてほしかった。なのに石ころと結婚するなんてって。
ユタカ:じゃあ何で結婚したんですか?
はま子:昨日母の夢を見たんですよ…
その夢は、今過ごしているお寺の待合室での話だった。母が椅子に座ってて、「母さん、母さんが母さんの法事に来てどうすんのよ」と言ったというはま子。すると母は「お父さんに会えないの。あの世に行ってからずっと探してるのに、ずっと会えないの。私のこと恨んでるのかしら。結婚したこと後悔してるのかしら。」と悲しい声で言ったらしい。
オサム:ああ…
ユタカ:ウソ泣きだろ!
オサム:わはははは
ユタカ:あーーもう!何でそんなことすんだよ
オサム:よかれと思って。
こんな時まで陽気なオサム。ユタカははま子に歩み寄る。
ユタカ:でも後悔なんて言われたらはま子さんが一番つらいですよね。だってお父さんとの間にはま子さんが生まれたんですから。
はま子:一度でいいから父と話してみたかった。
はま子の父は、はま子が一歳になったときに亡くなっている。そんな話をユタカに打ちあけ、ユタカはそれを優しい表情で聞いていた。が・・・
ドンドン!ダッ ドダンドダン!
ユタカ:ちょっと待ってくださいね。おい、おやじ!何やってんだよ!
どうやら音は2階にいるオサムからのものらしい。靴がどこから落ちてきたか探っているようだ。
ユタカ:それはもういいよ!
女性:ごめんくださーい
戸の外から女性の声が聞こえてきた。
オサム:あっ!
はま子:ルミさん!
声の主は、ユタカの幼馴染であるルミ。2人の喜ぶ声と、なんだか気まずそうなユタカが対象的だ。
2階に居たオサムは急いで階段をかけおりる。
オサム:うわあ!!!
階段の手すり部分の柱が抜けてしまった。
オサム:ボロボロだあどこも
それを何事も無かったかのように戻すオサム。
オサム:わ!すっぽりはまる。
ユタカ:…いらっしゃい
ルミ:お邪魔しまーす。あれ?おじ様お風邪は?
オサム:疲労でした
ユタカ:仮病でした
ルミ:じゃあ、これ良かった?おかゆがいいかなーと思って。
カバンからオサムのために作っていたおかゆを取り出す。
ルミ:でもユタカくんの分ないのはアレかなーと思ったので、ほら…おかずも作ってきたんです
保温がされるカップにおかゆと、タッパにおかずを作ってきてくれたルミをオサムは気がきくな~と嬉しそうにする。
はま子がはそれを、お皿につぎ分けようとする。
ルミ:ああ!すいませんはま子さんの分までは!
はま子:いいんですのよ、わたしのことは。
オサム:じゃあさじゃあさ!冷蔵庫にあるものではま子さんに何か作っていただいて、みんなで食べるっていうのは?
はま子:ああ!
ルミ:じゃあ、わたしやります!
はま子:いいのいいの。ルミさんは、坊っちゃんとここで。
ルミ:でも!
オサム:いいのいいの。坊っちゃんとこ・こ・で。
ユタカ:坊っちゃん言うな!
オサム・はま子:どうぞっ ごゆっくり~
オサムとはま子は仲良く声を合わせながら戸を閉め、ユタカとルミを2人っきりにした。